✈︎ Hiroko travel ✈︎

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ドイツ🇩🇪(ベルリンの壁)

ドイツの首都であるベルリン🇩🇪🍺

 

みなさん、ベルリンと言えば・・・

 

どのようなイメージをお持ちでしょうか?

 

私はベルリンのイメージを聞かれた時

ベルリンの壁のイメージしかありませんでした…

 

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しかし、ベルリンの壁の歴史を学ぶことは

ドイツの歴史をたどることにも繋がると思います。

 

今回はベルリンの壁を通して

ドイツの歴史を歴史が苦手だった私が

子どもも分かるくらい簡単にシェアしたいと思います😊🇩🇪

 

1945年5月第二次世界大戦後、

敗戦国であったドイツは西ドイツと東ドイツとに分割されました。

 

しかし、1950年から10年かけて

東ドイツの経済状況はどんどん悪化していきました。
これに対して西ドイツは経済成長を続けており国民は良い生活を送っていました。

その為、東ドイツの人々は毎日2000人以上の国民が国を去っていました。

全体では約200万人にものぼったそうです。

 

東ドイツの政府は、国民が国を去るようでは社会主義国家は作れないと考え

壁を作って強制的に留まるようにしようと考えたのです。
そして東ドイツの人々が逃げられないようにするために、ベルリンの壁が作られたのです。

 

その壁は西ベルリンの周りを取り囲むように、

人が乗り越えることのできない、

3メートルの高さの壁で長さは155kmです。

同じ国でこのようなことが起こるの友達や親戚、

おじいちゃんやおばあちゃんに二度と会えなくなるということです。

ベルリンの壁はまさに自由そのものだったのです。

 

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しかし1989年10月から東ドイツの人々は反政府デモをするようになり

参加者が次第に増えていきました。さらに壁を越えようとし、命を絶たれた方も多くいたそうです。

 


そしてついに11月9日の夜、「只今をもって東ドイツの国民は好きな所へ行っても良い」と発表されたのをきっかけに、ベルリンの壁が崩され東西ドイツの国境が開かれました。

 

その後、東西ドイツ統一へとつながっていきました。

 

 

この間、28年2ヶ月27日にも及んだそうです。

(1961年8月13日に作られ1989年11月9日に崩壊)

 

 

ベルリンの壁は人々の自由を隔てる大きな存在でした。

 

私も、この壁を目の前に "自由に生きれる" ことの幸せさを改めて感じさせられました。

 

 

ベルリンには友達に会いに行ったので…

現地の方(ドイツ人)によるローカルな部分も含め次回の記事で紹介します😊

 

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